2014/04/16 創立107年記念講演会を開催

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4月15日は、本学の創立記念日です。学園創始者三上アイ先生は明治40年4月15日、島根県邑智郡川本町に本校の前身邑智裁縫女学館を建学しました。今年で107年目となります。

15日は創立記念日記念行事として、津和野町在住の郷土史家松島弘先生(津和野町文化財保護審議会会長・森鴎外記念館協議会副会長)をお招きして「日本史に果たした津和野藩の役割」と題して全校生徒519名の前でご講演をいただきました。パワーポイントで画像を見せながらの説明で、石見地方、特に津和野の歴史についてわかりやすいお話しでした。

日本史でも学ぶ蒙古来襲があった鎌倉時代、13世紀からお話しが始まり、津和野城の築城のいきさつ、319年にわたって津和野地方を治めた豪族吉見氏代々の人物像と鎌倉、室町、戦国時代の周辺有力大名との合従連衡、覇を競う活躍についてお話しがありました。関ヶ原の戦いから江戸時代当初の坂崎氏は有名な「千姫事件」についてのお話しがあり、その後の江戸初期から江戸末期の藩主だった亀井氏時代の石州和紙を中心とした産業振興と藩教育振興のお話しと名家老だった多胡外記(たごげき)の忠臣蔵で有名な吉良上野介との逸話などについて話していただきました。初耳でしたが「」仮名手本忠臣蔵」に出てくる加古川本草行国(かこがわほんぞうゆきくに)は津和野藩家老多湖外記がモデルだそうです。

幕末から明治にかけて、津和野藩から時代を先導する偉人が多数出た。哲学者の西周(にしあまね)、小説家森鴎外(森林太郎)、地質学者小藤文治郎(ことうぶんじろう)、日本紡績業の父山辺丈夫(やまのべたけお)など全員が津和野藩藩校『養老館』の卒業生である。学校の担う力は大きい。森鴎外は遺書に「 余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」とある。年少の時期をすごした、自然風土が豊かで人々の気風がまじめな石見の記憶が強烈だったのだと思います。30年後、40年後に「石見」の名前がつく石見智翠館高校で学ぶ皆さんのなかから、日本を牽引する人物がでることを期待してやみませんと講演を締めくくられました。

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